ただの日記みたいな

日々、思ったことなど

「デミアン」(ヘルマンヘッセ/高橋健二訳) を読んだ

印象的な一節: 第6章 ヤコブの戦い より ピストーリウスの台詞

「…ねえ、シンクレール、ぼくたちの神はアプラクサスといい、神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界とを内に蔵しているのだ。…(略)…もしきみが非のうちどころのない普通のものになったら、アプラクサスはきみを捨ててしまう。彼はきみを捨てて、彼の思想を煮るべき新しいなべをさがすのだ」

 

主人公シンクレール少年は10歳のとき、自分にとって明るく正しい家族に対して、後ろめたさを感じ始めた。悪友クローマーのせいで、神聖な家族とかけ離れた、堕落した汚い、忌むべき世界に足を踏み入れた。(この小説でいう堕落した世界に堕ちていくのもシンクレール自身が望んで呼び寄せたものではないかと思える。)

 

こういう経験はどんな人にもありそうだ。親が望むことに反した行為は罪悪感と一緒に内緒ができた快感のようなものを生む。その事柄自体に対する罪悪感は微塵もないし、自分が何かしでかしてしまったかもってことが親にバレるのが怖いし、内緒を突き通せてる優越感を感じる。(まあわたしの場合そこまで悪いことした覚えはないし、内緒にしていたことは親に見抜かれていたと思う。なんだかんだ言って親はすごい。)  親から離れて自我を確立していく瞬間なのかな。(とか言って、わたしはまだ親離れできていないすねかじりですが。)

 

デミアンは主人公シンクレール少年の精神に大きく影響を与える上級生の少年として登場し、その時からシンクレールの内面の葛藤を産んだり解消したりする原因になる。話のエンディングからして、シンクレールは理想の内面を手に入れたと思うが、結果的にデミアンは良い方向にシンクレールを導いたんだろうか。シンクレール目線で話が進んでいくので、デミアンがシンクレールにとって崇拝するくらい憧れの存在ってのは伝わるけれど、デミアンがアプラクサスでシンクレールをそう仕向けたという読み方もできるんじゃないかなと思った。カインのしるしの話からもそう思った。なんとなく。でもたぶんそれは作者が伝えたかったことじゃないと思うからまあどっちでもいっか。

 

この本を通して思ったのは、自分の内面と少しでも関わる人すべてが何らかの道になっているということ。シンクレール少年を通して、内面の葛藤と人との関わり方が細かく描かれていた。特にピストーリウス(音楽家、シンクレールの瞑想友達、一種の指導者)やクナウエル(シンクレールを尊敬する下級生)との絡みが面白かった。それと、結局は自分に帰れということ。人と出会い、孤独な思考を延々と繰り返す主人公には何らかの道が開けていた。考えることをやめたら堕落した。自分自身をよく知ることは簡単そうでとても難しいのかもしれない。

 

ピストーリウスが弾くオルガンはこんなんかなーってYouTubeで聴いてみた。

(ブクステフーデのパッサカリア)

Buxtehude, Passacaglia in D Minor, BuxWV 161 - YouTube

 

デミアンはデーモン(悪霊に取り憑かれたもの)から出ているそう。アプラクサスとよく繋がる。

 

2年後くらいに、もう一度読もう。

 

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)